おふくろさん騒動で注目された耳毛がすごい作詞家・川内康範とはどんな人物なのか?

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ひと昔前の話になりますが、歌手の森進一氏と、おふくろさんの著作権を巡る騒動で世間の注目を浴びた作詞家の川内康範(かわうちこうはん)氏をご存じでしょうか?

彼のことを知らない人、写真を見て思い出した人……

きっと特徴的過ぎる耳毛に目が行ってしまったと思います。

実はこの長い耳毛は長寿の印、達磨大師にあやかって(人に勧められて)意図的に伸ばしていたそうですよ。

川内康範氏は2008年に亡くなってしまいましたが、彼は作詞家だけではなく脚本家、政治評論家の顔も持ち合わせていました。

本記事では彼の名を轟かせた「おふくろさん騒動」の背景や、彼の多岐にわたる活動を深堀りします。

有名な「おふくろさん騒動」だけでなく、彼の名を一躍有名にした「月光仮面」、「グリコ・森永事件」など興味をそそるエピソードが満載です。

以降は敬称略とさせていただきます。

目次

耳毛が特徴的な作詞家・川内康範とは

実は川内康範の耳毛がいっぱい生えていたのは比較的若いころからだったそうです。

さわらせてもらった女性アナウン サーによると「タヌキの毛でつくった筆先みたい」だったというエピソードも。

筋は必ず通す、金は貸しても借りないことなどを信条としており、「喧嘩康範」の異名を取るほど妥協しない性格で知られていました。

川内康範【かわぐちこうはん】のプロフィール

基本情報

  • 生年月日: 1920年2月26日
  • 逝去日: 2008年4月6日
  • 本名: 川内 潔
  • 出身地: 北海道函館市

来歴

  • 17歳の時、作家を目指して無賃乗車で上京。赤貧の中、コネを開拓し、戦前の日活撮影所に入った。
  • 20歳で海軍に応召し、横須賀海兵団の一員となる。
  • 開戦直前に別れを惜しんでくれた戦友たちの多くが南海で亡くなった。生き残った彼は、自分を卑怯者と感じた。
  • 戦後、彼は自費で海外戦没者の遺骨収集活動を始め、「国士」としての行動を開始。この活動がきっかけで政治家と親しくなった。

作詞家としての川内康範の代表曲

川内康範は作詞家として多くのヒット曲を生み出しました。

  • 1960年に「誰より君を愛す」で第二回レコード大賞を受賞。
  • 他のヒット曲に「骨まで愛して」(城卓矢, 1966年)、「君こそわが命」(水原弘, 1967年)、「愛は不死鳥」(布施明, 1970年)、「座頭市の唄」(勝新太郎, 1974年)など。
  • 森進一に親代わりの立場で「花と蝶」(1968年)、「おふくろさん」(1971年)など、約40曲の詞を提供。
  • 1970年に警視庁機動隊の歌「この世を花にするために」、稲川会のための「仁義の花火を天高く」を作詞。

川内康範にまつわるエピソード

有名なエピソードを多く持つ川内康範ですが、もっとも世間の注目を浴びた以下の3つのエピソードを紹介します。

  • 月光仮面
  • グリコ・森永事件
  • おふくろさん騒動

月光仮面

作詞家として有名になる前の川内康範は、1958年の連続テレビドラマ『月光仮面』の作者として有名でした。

出典:宣弘社

月光仮面は正義の味方で、悪人によって危機に陥った人々を救う謎の存在です。彼は白いターバン、覆面、サングラス、マフラー、タイツ、ベルト、カラフルなマント、手袋、ブーツを着用オートバイで現れ、「月光仮面の歌」を歌いながら悪を退治します。

引用:wikipedia
月光仮面にまつわるエピソード
  • 平均40%、最高67.8%という異常な高視聴率を叩き出した。
  • 月光仮面の変身後の姿からPTAに嫌われていた番組だった。
  • ブームが過熱し月光仮面の真似をして子どもが高所から飛び降りる事故が続発した。
  • 有害番組として扱われ一年半で放映中止に追い込まれてた。

有害番組と記事を書いた週刊新潮に激怒した川内康範は裁判を起こしました。

グリコ・森永事件

グリコ・森永事件(グリコ・もりながじけん)とは、1984年(昭和59年)と1985年(昭和60年)に日本の阪神間(大阪府・兵庫県)を舞台に食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件。

警察庁広域重要指定114号事件。また、略して「グリ森事件」「グリ森」とも言われる。犯人が「かい人21面相」と名乗ったことから、かい人21面相事件などとも呼ばれる。

引用:wikipedia
著:NHKスペシャル取材班
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実は「グリコ・森永事件」にも川内康範は関わっていました。

なんと毒を入れたお菓子を販売店の棚に置いて製菓会社を恐喝した犯人グル ープに、川内康範が「おれが1億2000万円やるから手を引け」と呼びかけたのです。

当時64歳の川内康範は借金をしてでもこの事件を何とかしようと奔走したそうです。

当時の1億2000万円は現在の価値だと、およそ5億円です。

そして川内康範の呼びかけに犯人グループから反応がありました。

「あんた金プレゼントするゆうたけどわしらいらんわしらこじきやない」

「わしらも月光仮面見たでおもしろかった」

結局、お金は受け取らず「グリコ・森永事件」は未解決のまま時効になりました。

月光仮面のファンだった犯人グループは川内康範の求めに応じたんですね。

おふくろさん騒動

2007年に勃発した歌手の森進一との「おふくろさん騒動」は、世間の注目を浴びましたよね。

出典:ビクターエンタテインメント

騒動の発端

騒動の発端は森進一が作詞をした川内康範の許可を得ずに

「いつも心配かけてばかり、いけない息子の僕でした」など、自身が考えた「語り」を付した改変バージョンを歌ったことでした。

川内康範はこれに激怒。

なぜなら、それは著作権の侵害であるのみならず作詞者である川内康範の心を踏みにじる行為だったからです。

騒動は森進一の対応のマズさにもあった

事態をさらに悪化させたのが森進一の初動です。

なんと釈明のための最初の面会を、ドタキャンしたんです。

持病の高血圧が理由だったそうですが、ますます心象を悪くしましたね。

加えて「【おふくろさん】という歌はすでに歌手、森進一のものになっている」と発言。

火に油を注ぐとはこのことですね。

当然それを知った川内康範は激怒。

森進一は謝罪のため、川内康範の東京での常宿であるホテルを訪ねたが、時すでに遅し。

日をおかず、森氏は青森県三沢の川内宅へ出向きましたが門前払い。

けっきょく森進一との関係が修復されないまま川内康範は他界してしまいました。

この騒動が起こった際の記者会見の場での川内康範の耳毛に注目が集まり、「あの耳毛がスゴい作詞家のおじいちゃんは誰だ?」となったわけです。

おふくろさん騒動で注目された耳毛がすごい作詞家は川内康範

もともと川内康範は【おふくろさん】の作詞家として有名でしたが、森進一との騒動で「耳毛がすごい作詞家のおじいちゃん」と言うイメージが定着したと言えます。

記者会見のふるまいもインパクト抜群でしたからね。

つい耳毛に注目が行ってしまいますが、川内康範は作詞家、政治家との交流、戦後の活動など、多彩な人物です。

彼が残した功績は揺るぎないものであり、今でも語り継がれています。

今回の記事は以上になります。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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この記事を書いた人

老化に怯える30代の会社員。
若いつもりでいたのに、ある日逞しく耳の中からチョロっと飛び出る耳毛を発見して老化に抗うことを誓う。
ブログタイトルは好きな作家である伊坂幸太郎さんと趣味のバイクから。

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